Kの日々

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「レイヤーケーキ」という映画がある。ブロンドのジェームス・ボンドで一躍世界に名を馳せる前のダニエル・クレイグが主演のイギリス映画だ。

表の顔は会社員、裏の顔は組織に属さない一匹狼の麻薬の売人が、裏の世界から足を洗おうとした事から巻き込まれるクライムサスペンス。平たく言うと、単館公開のB級ノワールだ。

B級といっても、始めからB級を目指している作品もあれば、遺憾ながらB級になってしまった作品もある。レイヤーケーキは残念ながら前者を意識してながら、色気を出して後者になってしまった典型的な例だ。

この手の作品の共通点として「スタイリッシュ」を演出するために、観客の読みを外す事で効果を上げようとしていることがよくある。上手くいけば初期のタランティーノ作品ような素晴らしいB級映画が生まれたりもする。まあ、めったにない事だけど。

大沢在昌は日本国内でも屈指のB級クライムサスペンスの書き手であり、一貫して「スタイリッシュ」、直裁に言えば「カッコイイ」を描いてきた作家だ。

ただ今回は作家本人のエンターテイメント指向が強すぎたせいか、読者の読みを外し過ぎて、ぐるりと一周した気がする。

以下ネタバレ。



新宿鮫や佐久間公シリーズを期待した読者は主人公二人の造形に煮え切らなさを、展開から北の狩人を想像した人は、ラストに物足りなさを感じただろう。

おそらく大沢在昌はレイヤーケーキのような騙し騙されを主軸とした物語ではなく、出てくる登場人物が一人も嘘をつかない物語を描きたかったのではないだろうか。
作中、悪徳刑事の鬼塚を評して、「知ってることを知らないというが、嘘をつかない男」という下りがある。

まさにこの小説のような気がするのだ。

主人公は確かに、その場をごまかす嘘をつく。しかし自身の信条に反する嘘はつかない。他の登場人物にもそれは当て嵌まる。死体処理屋の畑吹もやくざの丸山でさえも。嘘はつかない、言わないだけだ。大沢の作品全体に共通する「カッコイイ」は、この正直さにあるとも思う。

ただ残念ながら、本作では効果的に仕上がっているとは思えない。ヒロインであるケイの謎めいた立場が明かされるラストは、ある意味予想外だ。しかし、驚きはない。なるほど、と頷くだけだ。主人公の木に内面を語らせ過ぎたのが、まずかったのではないか。逢坂剛の禿鷹までいかないにしても、ラスト間際まで木はどちらの立場にも立たないスタンスを崩さないほうがよかった気はする。

あくまでも、こちらの想像通りの目論みがあったならの話だけどね。

B級の中には、実験的という意味もある。ベストセラー作家は、今も昔も実験の最中にいるのだと、そう思う。