夢を与える

夢を与える

夢を与える

正直、綿矢りさを舐めていた。前2作のゲーム感覚な作劇法に、ライトノベルの良作を読んだ事のない、世の大人どもが騒ぐのも無理はないと流していた。

それにしても、悔しいのはこの作品で、綿矢りさが化けた訳でない事に気付いたことだ。

ゲーム感覚と思っていたキャラクターの立ち位置や言動は、そういう振る舞いしかできない10代のあがきであり、思いを注げば注ぐほど、バラバラになる冷ややかな絶望だったのだ。

自分の過ぎ去った10代に、作品のなかにあるような刹那な激情や怠惰を越えた絶望があったかと問うと、すでに消化され尽くし、残滓さえもみつからない。
あの頃に感じていた焦躁や不安、怒りは現在の自分のそれとは異なっているのだろう、と感じられるだけだ。



以下、ネタバレで。


ラストに夕子が母親に語る「どんなに強く望んでも手に入らないものはあるの」という台詞は、絶望や諦観という意味さえなく、ただ失敗したという単純な事柄だけを伝えたように思えるのだ。
それは両親や業界を含めた大人の思惑に翻弄されたり、自分の認識の甘さでスキャンダルを呼び込んだ事さえも、ただの失敗であり、そこに深い想いはない。

リセット感覚という言葉さえも使い古された、通り過ぎるだけの10代を真摯に描く素直で危うい小説。

前半のぬるい江國香織風や、下手くそな保坂和志風のままで終わったらどうしようかと思ったよ。