江利子と絶対
- 作者: 本谷有希子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/08/11
- メディア: 文庫
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大槻ケンヂが歌う『人として軸がぶれている』が、脳内をエンドレスで流れている。
好きな曲だが、これだけ頭の中をぐるぐる回っていると、さすがにどうかと思うので、あえてスーパーの鮮魚コーナーや青果コーナーで流れている「おさかな天国」や「すいかの名産地」を脳内にインストールしたりするのだが、それらを蹴散らして、ぶれぶれぶれと脳内を駆け巡る。
さかなやすいかやりんごの気持ちはわからないが、軸がぶれている人の気持ちはよくわかるのだろう。
まあ、そういう訳で本谷有希子だ。
コラムやエッセイは読んだ事あるんだけど、小説は初読み。
ああ、ぶれている。
3話とも、ものの見事に人として軸がぶれてるよ。
表題作「江利子と絶対」の主人公江利子のエキセントリックさは病名に直せば、現役横綱が治療するはずの解離性精神障害とか、「わかってる、よくわかってる。でも出来ない!」という橘いづみ的な苛立ちを過剰に見せてるだけ、なんて思ったりもするんだけど、いや待て。
あまりに漫画的な装飾で騙されそうになるが、そんな明治から続いている不安の塊みたいな主題なんてどうでもよくて、江利子のエキセントリックさまでも日常に埋没できそうな醒めた視点を、作者のみならず読者でさえ、持ってしまっているこの状況。
今じゃ、一家に一人、江利子がいてもおかしくないのかも。
「生垣の女」では、都市伝説のガジェットをばらまき、縋るしかない愛を語る。途中、猫好きには堪えるシーンが出て来て、ほんと嫌だったけど、それさえも世間に膾炙しつくしたフォークロアの一つに過ぎない事に気付かせられて、びっくり。
「暗刈」は、殺人鬼が住む家に少年達が迷い込むというホラーの型枠のなか、主人公であるいじめられっ子が自身の存在意義の意味付けを、あれやこれやと積み上げる。
でも小学生の世界って言い訳だらけで作られていたような気がして、ちょっと感情移入してしまった。ほんとダメだ。
ラスト。一見爽やかそうに感じるところが、ほんと嫌な感じ。
この短編集の中ではベストかな。
軸がぶれてんなら、大槻ケンヂが歌ってるように居直って、ぶれまくり、震えてるのもわかんないようになればいいのだろうか。
本谷の描くぶれぶれ人間は、居直ってるんだろうか?
歌のラスト。ぶれぶれ人間でも、君がいたら変わる?とオーケンは問い掛ける。
それは誰かというよりもどこかに近いものであるような気がしてならない。